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加害者家族が受ける差別、償いとは何か「手紙」東野圭吾

あけましておめでとうございます!きょうこです。
新年最初の記事は、年末年始休暇中に読んだ東野圭吾さんの作品「手紙」について。
10年以上前の作品ですし、山田孝之さん主演で映画化もされてますので、既にご存知の方も多いかと思います。

 

 

 

 

本作は、強盗殺人者を兄を持つ直人が主人公。
両親は既に亡くなっておらず、兄弟2人で貧しくも慎ましやかに暮らしていた最中に届いた突然の知らせ。
そして兄が罪を犯して以降、彼がどんなに努力をして頑張っても、職場も、夢も、恋人も、あと一歩というところで毎回「殺人者の弟」というレッテルに全てぶち壊されてしまうのです。

また、兄が強盗殺人を犯した理由が、貧しい家庭で育った弟を大学に行かせるだけのお金を手に入れるため。
もともと殺すつもりなど毛頭なかった兄。
その事実が直人をますます苦しませます。

 

読み進める中で、直人の置かれた環境の理不尽さ、仕打ちの酷さに腹を立てていた私。
ただ作中のとある人物の言葉で、それは実際に自分が彼と対峙していない、赤の他人だからこその意見かもしれないと気付かされます。

それが下記の台詞。
※ちょっと長いです

 

差別はね、当然なんだよ。(中略)だから犯罪者はそのことも覚悟しなきゃならんのだよ。自分が刑務所に入れば済むという問題じゃない。罰を受けるのは自分だけではないということを認識しなきゃならんのだ。(中略)衝動的では済まされない。君が今受けている苦難もひっくるめて、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ。(中略)君が兄さんのことを憎むかどうかは自由だよ。ただ我々のことを憎むのは筋違いだと言っているだけだ。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになるーすべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね。

 

「差別が当然」と言い切ってしまうことに非常に驚かされつつ、確かに言ってることはもっともでもあります。
また上記の言葉とともにその人物は、社会的な死から生還するために人との繋がりを1つずつ増やしていく重要性を説くのです。

でもそれはさらに苦しい道を歩むことでもあり。

加害者の家族というだけでそのように過酷な運命を背負うことが本当に適切なことなのか。
ただ一方で、被害者家族の視点から見るとやはり割り切れない思いがあることもまた事実。

 

本作のラストでは1つの哀しい終着点に辿り着くわけですが、実際の事件一つ一つの裏側にいる、自分が犯していない罪に心を痛め続けている人、偏見の最中にある人の存在には、決して目を背けてはならないのだと思います。

 

 

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